知ることによりわいてくる興味関心恵み豊かな島 竹島を語り伝える会 代表
「メチのいた島」著者 杉原由美子氏

 七十二才の私は、竹島のことを知ってもらうために、絵本を出版し、その絵本を持って各地で読み語る活動をしています。
 二○一一年、隠岐の島の久見地区で、竹島での漁の様子を聞く機会がありました。八十才を過ぎた方々の子どもの頃の話を聞いているうちに、こんなに恵み豊かな漁場にある竹島のことをもっとたくさんの人に知ってもらいたいと思いました。さらに詳しく知るために、一軒一軒を回って聞き取りをしました。二○一三年に五十冊の絵本を自費出版することができました。絵本を出版するために参考にした文献は、

 田村清三郎著「島根県竹島の新研究」
 杉原  隆著 山陰地方の歴史が語る「竹島問題」
の二冊です。二冊の著書を読んでいく中で、二つのことを自分の心のよりどころにしようと思いました。

 一つは、明治三十八年の島根県告示です。
 「島根県告示第四十号北緯三十七度九分三十秒東経百三十一度五十五分隠岐島ヲ距ル西北八十五浬二在ル島嶼ヲ竹島ト称シ自今本県所属隠岐島司の所管ト定メラル明治三十八年二月二十二日 島根県知事 松永武吉」田村清三郎は著書に、
「これによって、対内的には歴史的に日本の固有領土と確信せられていた所属未定地を本県の管轄に編入し、対外的には近代法の無主先占による領土権の確立を宣言したものである。」と記しています。

 この告示に至るまでには、中井養三郎による「リャンコ島(現在の竹島)領土編入並びに貸下願」が明治三十七年、内務、外務、農商務の三大臣に提出され、閣議において竹島と命名され、島根県隠岐島の所管と決定した経緯があります。島根県は、竹島でのアシカ猟の経験がある中井養三郎、加藤重蔵、井口龍太、橋岡友治郎の四名に許可書と鑑札を与えました。隠岐島司はこの許可書を獲得した者を指導し、共同で漁をするための「竹島漁猟合資会社」を作らせました。
 もう一つは、昭和二十七年のサンフランシスコ平和条約です。
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 「第二条(a)
日本国は、朝鮮の独立を承認して、済洲島、巨文島、鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」。
 昭和二十六年九月八日調印 昭和二十七年四月二十八年発効
韓国はアメリカに、
「日本が放棄する島に竹島を加えてほしい。」
と願い出ますが、アメリカは、
「竹島は一九○五年から島根県隠岐支庁の管轄下にあり、これまで朝鮮領土として扱われたことはなく、領土主張がなされたと思わない。」(ラスク書簡)
と回答し、韓国の要求を拒否しました。
 竹島が日本領土であることが平和条約上でも確認されています。
 ところが韓国の李承晩大統領は、サンフランシスコ平和条約の効力が発生する三か月前の、昭和二十七年一月十八日、突然、まさに突然、「李承晩ライン」を宣言して、竹島をライン内に取り込みます。
 これが竹島問題の始まりです。

日本政府はすぐに抗議し、島根県は竹島に標柱を建てましたが、韓国は日本の巡視船に発泡し、竹島を占拠しました。
 昭和四十年に日韓基本関係条約と日韓漁業協定が発効し、「李承晩ライン」は実質的に消滅しますが、竹島問題は解決していません。平成十一年に新日韓漁業協定が発効し、両国で共同管理する「暫定水域」が設けられましたが、漁法や資源保護にちがいがあり、竹島近海での漁はほとんどできていません。
 竹島は暖流と寒流のぶつかる潮目があり、堆もあって豊かな漁場でした。久見の漁師さんが竹島に漁に出かけるのは、海の荒れない五月頃から九月頃の間です。漁をしない時が八か月間もあるので、ミネラル豊富な海水に育まれた貝や海藻が大きくてたくさん育ちます。昭和十一年の久見の漁師さんの日記に、十四日間の滞在でアワビ六百キロの記録が残っています。一日に四十キロも獲れたのです。
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 私たちは先人の成しとげたことを引き継いで、正しいことは必ず通るという信念を持ち、国際司法の場で、諦めず主張していかなければなりません。無主先占の地として、竹島が日本の領土であることは歴史が示しています。
波の向こうで 日本の竹島が 今日も私たちを待っています

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【新春特別寄稿】季刊誌4号
【尖閣の日】について

石垣市長 中 山 義 隆

 一月十四日は、日本政府が国際法の原則に従い、明治二十八年「尖閣諸島」を我が国の領土として編入することを閣議決定した日である。
 尖閣諸島は、石垣島から北西百四十九キロメートルに位置し、魚釣島、久場島、大正島、南小島、北小島等からなる島嶼群島である。
日本政府が閣議決定した、明治二十八年には、日本政府の許可のもと(故)古賀辰四郎氏が羽毛の採取、鰹節の製造、サンゴの採集などの事業を展開しており、紛れもなく尖閣諸島は日本固有の領土としての歴史的な事実がある。
尖閣諸島には、貴重な動植物が生息しており、尖閣の各島々及び周辺海域の自然環境に関して、国、県及び大学の研究機関が様々な調査を実施してきた。これまでの調査によると、尖閣諸島の陸上及び海域は、我が国のみならず、世界的にも貴重で豊かな生態系が形成されていると考えられている。しかしながら、近年、魚釣島では人為的に持ち込まれたヤギの繁殖が進み、貴重な動植物への影響が懸念されているところである。
 このような中、平成二十二年十二月に石垣市議会において、「尖閣諸島開拓の日を定める条例」が議決、施行された。
 同条例では、「尖閣諸島が歴史的にも日本固有の領土として、より明確に国際社会に対して意思表示し、国民世論を啓発する」ことを趣旨とすると共に、行政は、同趣旨に則り必要な施策を講ずるよう努めるものとしている。
 石垣市は、毎年一月十四日に、政党代表の皆様をはじめ、来賓、各界各層から市民多数のご臨席を賜り盛大に「尖閣諸島開拓の日」式典を挙行し、尖閣諸島が日本固有の領土であるとともに、石垣市の行政区域であることを国内外に発信している。
 更には、海洋基本法に基づき策定した、石垣市海洋基本計画の主な施策として、「島々及び周辺海域の自然環境の保全」、「漁業資源の管理」、「尖閣資料館建設」を掲げ、取り組んでいるところである。
 また、尖閣諸島における歴史の中で決して忘れてはならないことがある。
太平洋戦争末期、台湾へ疎開するため石垣を出発した石垣町民、およそ百八十名を乗せた疎開船が米軍機の銃撃を受け、二隻のうち一隻は炎上沈没、もう一隻は難破し、魚釣島へ漂着。救助を待つ間に怪我や病気、飢餓で約六十名の方が亡くなるという痛ましい事件である。
私は、このような惨事を二度と繰り返さないよう、日本最南端の国境都市、国際観光拠点都市として安全・安心なまちづくりを進めてまいる所存である。
 また、尖閣諸島周辺海域で、中国公船の領海侵入等が頻繁にある中、海上保安庁による巡視船の増強等、海の安全が更に強化されることは、漁業従事者はもとより石垣市民の安心につながるものであり、領土・領海の重要性を改めて認識しているところである。
 国においては、尖閣諸島に係る世論調査を実施している。同世論調査では、9割が尖閣について知っていると回答しているが、知っていると回答した理由の中では、「尖閣諸島への領海侵入」という内容であった。
 「尖閣諸島開拓の日」を条例として定めて五年が経過する中、多くの国民に石垣市の行政区域である「尖閣諸島」の存在を知って頂く機会ができたことは、行政を預かる者として力強く思うところであるが、尖閣諸島が本市の行政区域として適切に管理され、貴重な自然が残る場として多くの国民に認知されることを望むものである。
 私は、「尖閣諸島開拓の日」を、(故)古賀辰四郎氏が日本政府の許可のもと、経済活動を展開するなど歴史的な事実を背景に、日本固有の領土として、国内外にメッセージを発する日であるとともに、尖閣諸島に残る貴重な自然を発信する日としてこれからも多くの方々へ伝えていきたいと考えている


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林子平翁をおもう

一般社団法人大日本文庫 理事長 河原博史 

安永七年(耶蘇紀元でいう一七七八年)、当時出島政策の舞台であつた長崎では、オランダ商館長・アーレンヘイトが左記の如く一人の日本人男性に語っている。曰く、「北よりして南を侵すは易く、南よりして北を略するは難し。北より南に入ること五~七日なれば風土稍暖かに、産物亦多し。更に十日乃至廿日なれば、愈々暖かに愈々多し。故に人心随って旺し、利随って大なり。これ北の南を侵し易き所以なり。而して南よりするは、全く之に反す。和蘭の布哇を取り、韃靼の支那を取り、魯西亜の韃靼を取る。皆、この理に由るのみ」と。 つまり他国を侵略せんとせば、南進するに如くはなし、といふことだ。

一般的に北進は侵入するにつれ、侵攻者側にとつて不利な条件が加えられてゆく。これに就ては 明治天皇の御宇、官軍が奥羽越列藩同盟を討伐するため北上した際、頗る憂慮したことをみても明らかであらう。然るに赤道に向かって南進することは、地球の自転軌道が変わらない限り常に得策となるのである。 而して日本は四方を海に囲まれた海国だ。地に国境線なき国は如何に海防を全うするかが国防の要諦となる。かくして北辺の防備を主張したのは、アーレンヘイトと対話した林子平翁である。
翁は『海國兵談』『富國策』などを上梓し、世に海防の重要を説いている。翁、『海國兵談自序』(天明六年)に曰く「海国は外寇の来リ易キわけあり。~中略~其来リ易シといふは軍艦に乗じて順風を得レば 日本道二三百里の遠海も一二日に走リ来ル也」と。 
鎖国した日本は全くの箱庭国家であつたこの時代、既に翁は外敵襲来を懸念し警鐘を乱打してゐる。而も翁は啻に武備薄弱なることを以て憂慮するに飽き足らず、幕府と国民の自覚および国防の心得希薄なるをも言及しこれに痛憤しているのである。

曰く「昇平久キ時は人心弛ム。人心弛ム時は乱を忘ルヽ事。和漢古今の通病也。是を忘レざるを武備トいふ」(天明七年『海國兵談』巻之一「水戰」)と。また曰く「一年にして富を欲する者は、無用の費を闕ぎ、君臣の欲する所を省略するに在り。五年にして富を欲する者は、市商の道を便利ならしめ、買道は、市廛に任するに在り。十年にして富を欲する者は、衣食住を定むるに在り。二十年にして富を欲する者は、農を進め、牛馬を生養し、樹を植ゑ、農民金銀を用ゐずして銭を用ゐ、五穀を以て諸品と交易すべし。五十年にして富を欲する者は、山海川沢田野の品物を宜しきに通路し、天地の産物を弁利するに在り。百年にして富を欲する者は、文武に在り。教化行れば、天下の富を保つ」(天明五年『富國策』)と。 噫、二百年以上も前に発せられたる子平翁の警鐘も今はむなしく、北辺は露西亜に侵害され、はや七十年に垂んとしてゐる。更に悲嘆すべきは、吾人は過去の油断と不覚を誡めとせずして今日なお憲法論議の解釈区々たるべきものあり、未だ四海の辺地は無防備に近し。併せて国民の国防意識も脆弱で、精々排他的主張に陶酔しこれを諒とするに止まる。

 司馬遷著『史記』に「泰山不譲土壌、故能成其大(※泰山は土壌を譲らず。故によくその大を成す)」といふことばがある。秦国の李斯という宰相が、始皇帝に向けて上書した時の一文だ。〝泰山が大を成すのは、どんな土くれをも包容したから〟という意味であるが、こゝではその字義の通りに読む。乃ち日本がその偉大を保持し得るためには、一片の土くれすらをも譲ってはならぬのである。況や非人道的に侵寇されたに於てをや。 思えば先の大戦は自存自衛ともう一つの大義があった。それ〝亜細亜の解放〟である。日本は〝人道の心臓が鼓動する国〟だ。非人道的に亜細亜を支配する西欧諸国は、吾人にとって到底許すべからざる国々であったのだ。人道を重んじる者が非人道的行為乃至勢力に対して命懸けで戦うのは当然だ。然れ共その四年後に、自国が非人道的侵略を被りながら、今尚それを放置しているようでは、日本の人道の在りかが疑われるばかりか、先の大戦の大義も空々しくなるばかりだ。 

日本は一片だの土壌も譲らず、且つ人道に違背せし勢力への妥協も譲歩もしない。内にして国防完遂・国威宣布の為、外にして一切の非人道的行為や不当な脅迫乃至ゴネ得に屈しないという、その模範を世界に率先して示し、新秩序を建設する為、北方領土の奪還は実に多大な意義が含まれている。 最後に苦言するが北方領土は失地ではない。吾人はかの地を「喪失した」と自ら認めてはならない。「失った」のではなく今なお吾が領土なのだ。失地なる語はやはりどう考えても相応しくない。道元禅師の曰く「愛語よく回天の力あり」と。「侵されている地」「奪われたままの地」であるという認識が必要だ。

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入国拒否事件
 2011年8月1日、自民党の「領土に関する特命委員会」(委員長石破茂)所属の新藤義孝、稲田朋美、佐藤正久の三議員が韓国の金浦空港で入国拒否され、9時間後に強制的に送還されるという事件が起きた。私の場合はその前日、最終便で仁川空港に到着したが、4時間後の1日未明、アシアナ便で羽田空港に送り返されている。
仁川空港の入管関係者によると、私は「出入国管理法」(第11条)違反で入国を拒否されたのだという。その第11号1項の3号には「大韓民国の利益や公共の安全を害する行動をする懸念があると認めるにたる相当な人」とあり、4号では「経済秩序または社会秩序を害し、善良な風俗を害する行動をする懸念があると認めるにたる相当な理由がある人」と定められている。
だが新藤議員等が韓国を訪問したのは、「大韓民国の利益や公共の安全を害する」ためでも、「善良な風俗を害する行動」をするためでもなかった。
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一行の目的は、欝陵島にある「独島博物館」を視察し、韓国側の竹島研究の現状を把握することにあった。それも当時は民主党政権下で、前年には尖閣諸島を国有化したことで中国政府との確執が深刻化し、その間隙を縫って、メテメドベージェフ大統領が2010年11月、ロシアの最高指導者としては初めて北方領土の国後島を訪れていた。翌年5月には、韓国の独島守護対策特別委員会の姜昌一委員長等が、北方領土の国後島を電撃訪問すると、8月には竹島で独島守護対策特別委員会の開催を予定するなど、日本に対する挑発が続いた。さらに4月28日、「菅談話」に盛り込まれた「朝鮮王室儀軌」の引渡しが衆議院本会議で可決され、日本外交は敗北の連続であった。特に竹島問題では2011年2月27日、菅直人首相の側近である日韓キリスト教議員連盟会長の土肥隆一議員が、韓国で竹島を韓国領とする文書に署名するなど、日本外交は世紀末的な状況にあった。
自民党の「領土に関する特命委員会」による欝陵島訪問は、この劣勢を挽回するためにも不可欠なものであった。だがこの時、韓国側マスコミによると、韓日議員連盟から日韓議員連盟(会長渡部恒三)に対し、韓国訪問を自粛するよう要請がなされていた。事実、「領土に関する特命委員会」に対しては、自民党内部からも圧力がかかったようである。そのため、韓国行きを予定していた一人の議員は、日程の都合がつかないことを理由に欝陵島視察を取り止めている。
だが新藤義孝、稲田朋美、佐藤正久の三議員は、それを拒んで韓国行きを決行したのである。韓国訪問を中断すれば、韓国側には誤ったシグナルを送ってしまうからである。これまでも韓国側は、日本には圧力を加えれば、日本国内で調整するとの思い込みがあった。事実、教科書問題の「近隣諸国条項」や慰安婦問題の「河野談話」、「村山談話」と「菅談話」はその悪しき前例である。その弊害に陥らないためにも、韓国訪問は中断することができなかった。
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そのため三議員の意志は堅く、韓国側の神通力も効かなかったのである。慌てたのは韓国側であった。その先鋒となったのが、李明博大統領(当時)に近い李在五議員で、市民団体と称する一団を動員して暴力的な示威行動を行い、恫喝によって阻止しようとしたのである。この時点で、韓国側の外交的敗北は決定的になった。
新藤議員等が独島博物館を視察すれば、そこには竹島を韓国領とする文献的根拠がない事実が明らかとなり、新藤議員等の訪韓を「出入国管理法」違反で送還すれば、それだけで国際社会が竹島問題に関心を持つからである。事実、新藤議員等が金浦空港に到着すると、韓国の市民団体は空港内に棺桶を持ち込むなど、最大限の嫌がらせをし、海外のメディアも奇異の目で報じていた。新藤議員等の動きを封印できなかった韓国側では、想定外の事態に、極端な行動で応じたのである。
この8月、産経新聞の加藤達也氏が、朴槿恵大統領の名誉を毀損したとして訴えられ、出国禁止措置の状態にあるのもそれに近い。加藤氏を訴えたのが、朴槿恵大統領自身ではなく、何ら関係のない「独島愛の会」だからである。では何故、加藤氏は竹島関連の市民団体から訴えられたのか。それは2011年8月、新藤議員等一行の中で、実際に欝陵島訪問に成功したのが加藤記者一人だったからである。加藤氏は8月4日付の産経新聞で、「鬱陵島を歩く、愛国・反日、異様な熱狂 韓国旗「はちまき」の軍服集団」と報道していたのである。「独島愛の会」としては意趣返しのつもりだろうが、それは韓国を「言論の自由」のない国家としただけである。
2005年、島根県が「竹島の日」条例を制定しようとした際、自民党政権はそれを阻止しようとした。新藤議員等の欝陵島訪問の際も、自民党内部から圧力がかかった。だがいずれもそれを撥ね退けたことで、韓国側が狼狽し、韓国側のオウンゴールを誘うことになった。日本外交を自立させるヒントは、この中にあるようである。

 拓殖大学教授 下條正男


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竹島返還運動をふるさと納税で応援しませんか?

ふるさと納税とは、自分が応援したい自治体へ『寄附をする』ことで、寄附金に応じた税の控除を受けられる仕組みです。複雑な手続きは不要で、例えば竹島問題に対応する島根県の予算約3100万円ちなみに北方領土に関する国家予算は16億円「竹島返還運動をさらに推進して欲しい」など寄附金の使い道も指定できます。「お礼の品」として特産品を贈る自治体もあり、毎年多くの方が利用する、魅力ある制度です。

http://www.pref.shimane.lg.jp/admin/seisaku/keikaku/furusato/moushikomi.html

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あけましておめでとうございます。
戦後から70年余り、私たちの先人が自らの命を投げうって、子孫である私たちに残してくれた土地と海の一部が、未だに不法に占拠された状態となっています。そのような中、昨年、重要な出来事がありました。

 日本とロシアは首脳会談を行いました。短期的な成果は見えなかったものの、中長期的かつ大局的な可能性が開けたかもしれません。領土問題は二国間での解決は難しいものですが、今年はアメリカがトランプ政権にかわります。トランプ政権は中国ではなくロシアとの関係を重視しているとされます。今回の日ロ首脳会談が、日本、アメリカ、ロシアの関係を強める結果に資すれば、中長期的に北方領土問題の解決につながる可能性があります。

 韓国は、昨年、2011年末以来となる海軍の竹島上陸訓練を行いました。韓国議員らの政治的パフォーマンスも相変わらず続いています。この韓国議員らの行動をみても、領土問題は政治家だけで解決を図ることができないことを示しています。その背後にある国民が鍵になります。

 北方領土竹島、双方ともに日本固有の大切な土地です。しかし日本において、まだまだ私たちの国民の領土返還への想いと熱意が醸成されていません。祖国のために命をささげられた先人の命の積み重ねの土地と海、その一部が不法に占拠されていることを、私たち日本人が認識し、日本国が一丸となって、国際社会に訴えていかねばなりません。

そのために日本領土領海戦略会議は、引き続き活動を続けてまいります。今年もご支援とご協力を、どうぞよろしくお願いいたします。
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テーマ : 政治・時事問題 - ジャンル : 政治・経済

タグ : 尖閣諸島 竹島 北方領土 日本領土領海戦略会議 青年会議所

国後島は“外交カード”の見せかけの街? 道路は波打ち陥没、古い外壁張り替えただけの商店…突貫工事の粗雑さ目立つ 

 北海道根室市の根室港から船で約3時間、島影にカラフルなロシア風の建物が見えてきた。北方領土の玄関口、国後島の古釜布は人口約3000人の街。戦前は島全体で約7000人の日本人が住んでいたが、今はロシアの一部に溶け込んでいる。

 街中を行くと、ロシアの実効支配を強調するかのように主要な道路は舗装され、集合住宅が立ち並ぶ。商店や教会、学校も急速に整備された印象を受ける。

 ただ、突貫工事によるであろう粗雑さも目立つ。道路は舗装されているが、砂利道に直接アスファルトをかぶせたのか、路面が波打ち、陥没も見える。地面と土台に隙間が生じた集合住宅や、古い外壁を張り替えただけの商店もあった。

 3年ぶりに古釜布を訪れたという東海大海洋学部の山田吉彦教授は「このエリアしか開発していない気がする。デモンストレーションかなとも感じてしまう。『外交カード』にするために、見せかけの街づくりを行っているようだ」とみる。

「ここはロシアの領土。歴史的にそうなったのだ」。ソロムコ・ワシーリ・ドミトリエヴィチ地区長は22日、「南クリール(千島)地区」の行政府でこう主張し、日本の領有権に真っ向から反論した。
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 サハリン州に属する南クリール地区は、国後、色丹両島や歯舞群島などを管轄する。ソロムコ氏によると、地区の人口は約1万900人。水産業が主要産業だが、豊かな自然を生かした観光業にも力を入れているとし、「ホテルの部屋が足りない」と日本側の進出を促した。ただ、昨年の観光客数は約1200人で、成果が表れているようには思えない。

 クリール諸島(千島列島と北方領土)の「発展計画」は2025年までに600億ルーブルを投じ、この地区には3割が配分されるという。ただ、山田氏は「この島で産業を興そうという雰囲気はない。一方で公共投資はどんどん進めており、産業がないのに都市があるのは不思議なことだ」と話す。さらに「数年前に訪れた択捉島は完全に企業化され、産業を興そうという雰囲気にあふれていた」と両島の違いを強調した。

日本は北方四島の一括返還を求めるが、ロシアは決して首を縦に振らない。山田氏は「各島の扱いに差があり、交渉の過程が見えてきた」という。分割返還も見据えた条件闘争の準備を着々と進めているようにも映る。国後島は4島の中で「返してもいい島」(山田氏)なのだろうか。張りぼてのような街が物語っている。山田氏はこう指摘した。

 「返還問題の要諦は国後島にあるのではないか。この島は、条件次第で帰ってくる可能性がある」

 戦後70年以上が経過してもロシアによる不法占拠が続く北方領土。5月の日露首脳会談では「新たな発想」に基づくアプローチで日露平和条約締結交渉を進めることに合意したが、解決策は見えない。21~25日に日本側代表団の一員として北方領土を訪れると、交渉をめぐるロシア側の思惑が透けてみえた。

(産経新聞政治部 小野晋史)

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1868年に発刊された地図「ハンド・アトラス」。現在とは島名が一部異なるが、「Hoapin-su」(尖閣諸島・久場島)の西側に国境線が引かれている
 尖閣諸島(沖縄県石垣市)を日本領と記した19世紀後半の英国、ドイツ製地図が現存していることが明らかになった。いずれも日清戦争(1894~95年)前の地図で、中国側の「日清戦争を通じて、日本が尖閣を奪った」とする主張を覆す資料がまた新たに見つかった。

イギリスもドイツも…明治維新の頃すでに国際認識あった

 地図は長崎純心大の石井望准教授(尖閣史)が調査発見した。19世紀当時、世界最大級の「スタンフォード地図店」(英国)が1887年に発行した「ロンドン・アトラス」と、ドイツの地図製作の大家、アドルフ・シュティーラー氏が1868年に製作した「ハンド・アトラス」の2枚。

 石井准教授は昨年7月、オーストラリア国立図書館がデジタル化した資料から、ロンドン・アトラスの1887年版を見つけ、尖閣周辺の領土表記がどうなっているかを調べた。

 その結果、尖閣諸島・久場島を示す「Hoapin-su」の西側に「……」との点線が引かれていた。ロンドン・アトラスだけでなく、約1年かけて、他の資料と付き合わせて調べたところ、点線は領土・領海の境界を示しており、地図上では、久場島を日本領と認めていたことが判明した。
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 また、1868(明治元)年の地図「ハンド・アトラス」も同様に、久場島の西にラインが引かれ、尖閣諸島は「日本領」として、琉球併合前の沖縄と同じ色分けがされていた。この地図は、東大総合図書館に所蔵されていた。

 日本政府が国際法に基づく「無主地(むしゅち)先占(せんせん)」を閣議決定する前に、日本領であることを明示したこれらの地図が、何を意味するのか。

明治政府は1885年から10年かけて、尖閣諸島に清国を含むどの国の支配も及んでいないことを慎重に確認し、日清戦争中の1895年1月、尖閣諸島の沖縄県への編入を閣議決定した。

 一方、中国側は「(中国名で尖閣を意味する)釣魚島は台湾省に属している。日本が台湾侵略の際に盗み取った」(中国外務省の洪磊(こうらい)報道官)と主張する。つまり、尖閣諸島は清国が領有する台湾の付属島として、日清戦争の講和条約「下関条約」(1895年4月17日締結)によって、台湾とともに日本に割譲されたという論法だ。

 今回、石井准教授が発見した地図は、日清戦争前の段階で、尖閣諸島に清国支配が及んでいないばかりか、日本領だったという認識を、日本政府の閣議決定に関わらず欧州列強が持っていたことを示す。中国側の主張を否定する資料といえる。

 尖閣諸島を日本領だと判断した英国のスタンフォード地図店の地図は、当時最先端の航海技術と各国機関への情報網をもつ英海軍の調査に依拠したとみられる。

 当時の尖閣諸島周辺は、ともに英国領となっていた香港と朝鮮半島南部沖の巨文島を結ぶ海上ルート上であり、英国海軍にとって重要な航路だった。

 石井准教授は「英国にとって、航行の安全を確保するために、周辺海域の島がどの国に所属するかは重要な情報となる。地図業者は、現地の新聞から最新情報を得て、地図を作っただろう。少なくとも、尖閣諸島に日本の支配権が及んでいたという国際認識があったことを示すといえる」と語った。

 世界地図の専門家の間では、スタンフォードの地図は海洋国家である大英帝国のおひざ元で発行され、その中でも当時の領土関係を比較的正確に反映した地図だと評価されている。

スタンフォードやシュティーラーなど19世紀後半の大家が製図した世界地図がこれまで、発見されなかった理由について、尖閣諸島文献資料編纂(へんさん)会の国吉まこも氏は「大学や図書館などが所蔵する資料のデジタルアーカイブ化は近年始まったばかり。しかも、尖閣諸島問題は研究者が少ない。研究が進めば、こうした新発見は次々と出てくるだろう」と指摘した。(九州総局 奥原慎平)

【用語解説】無主地先占 国際法において、いずれの国にも属していない無主の地を、他の国家に先んじて支配を及ぼし、自国の領土とすること

▼日本領土領海戦略会議からのメッセージ
「二〇〇八年度 日本青年会議所 領土・領海問題委員会メンバーが中心となり、更なる領土領海問題に対する国民意識の醸成を目的に設立された内閣府認証NPO法人です。
http://japaneseterritory.com/」

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